遣唐使時代からの交通の要所、瀬戸内海で久々のクルーズを再会する!

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シカゴ時代は、南北に走るミシガンAve.から巨大なミシガン湖を東に見て

四国に赴任した16年前は瀬戸内海が北にあり最初違和感を感じたが,今関西圏に住み着き神戸須磨に

ヨットを係留している友人との復縁で瀬戸内海クルーズを久々に再開できた。 

多島美の極みである瀬戸内海の島々が今当然ながら南から広がる。
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愛艇≪SKAL≫(CC-32)でこちらを向いて手を振る男は四国時代に仕事で繋がりよく飲んで遊び

高松の繁華街≪古馬場≫でばか騒ぎをしたツーカーの仲間!彼は岡山大学時代にヨットを始め

新婚旅行の為に小豆島桑塚にある≪岡崎造船≫でヨットを制作した根っからのヨットマンである。
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今回日生港で顔なじみのフェリーと久々の再会をするが瀬戸内海は正に海上交通の要所である。

ミシガン湖は夜となれば全く船の灯りが見えず、まして冬となれば九州とほぼ同じ広さの湖面が全く凍りつき

水上航路としては貢献できていない。 

しかし一方瀬戸内海は、温暖故に奈良時代の瀬戸内海でも、物資を積んだ船が行き交うだけでなく

火をともして夜の漁もする船もあり、また遠く新羅や唐と結ぶ海路でもあって、

都の人々にも印象深い海であった。 と瀬戸内海辞典にも記載されている。
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唐から来た船は対馬経由瀬戸内海に入り、讃岐の国の志度港に荷物を下ろし、その後陸路で平城京に

運ばれていたはずである。
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奈良東大寺大仏殿が源平争乱のなか、平氏と対立していた南部の勢力を討つため、平 重衡が東大寺を

焼き打ちした1180年(治承4)の際の復興に向けての突貫工事更には、

徳川幕府の大坂城拡張PTが始まる1680年(元和6年)の巨石の搬送も当然瀬戸内海がその水路となっている。

加齢のお陰で休みも多く取れだしたこの時期にこそ万葉集にも登場する穏やかな瀬戸内海の

洋上で昔の栄華に想いをはせながら仲間と酒を飲みかわすのが最高の遊び場かもしれない。
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既に3カ月の長い沖縄航海から無事帰還された三線おじさまこと富井御大と

彼の仁尾のマリーナでランデブー出来るのもまじかかもしれない。 

しかし最近ヨットを楽しむ若い男女にお目にかかったことはなし。

万葉集にも想いを馳せる我が世代の男のロマンはやはり十二一重に身を包む才女のご登場も絶対条件でしょうな。
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拝啓! 富井人事本部長様   よろしくご準備のほどお願い申し上げ候・・・・・
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by cmftbl_wind5577 | 2012-07-14 13:25 | クルージング
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